我思う、故に我あり
17世紀のフランスの哲学者、ルネ・デカルトの言葉ですが、
デカルトがどんな思想を持っていたか知らない方も、聞いたことのあるフレーズではないでしょうか。
デカルトは、当時17世紀のエリート学校に通う学生でしたが、現行教育カリキュラム(スコラ哲学)に不満足であり、退屈を感じていて、しかも自分はそれらを学び尽くしたからということで、学校を飛び出し、「世界という大きな書物」の中に、真理探究の旅に出ています。
わずか20歳の時の話です。(cf. Discours de la méthode『方法序説』)
当時のヨーロッパでは宗教戦争(30年戦争)がされていましたから、軍に入隊しなども経ています。
そして、23歳の時、ドイツ・ウルムの郊外の炉部屋で思索にふけっていたところ、デカルトは、夢で神様からの真理の啓示を受けたとの確信を得ています。
その夢で、哲学・学問全体を基礎付ける「原理」「法則」を見出したとのことですが、
その彼が見出した究極的な哲学原理(哲学の第一原理)は、
「我思う、故に我あり」
という言葉に表されています。
悪霊によって惑わされ、悪夢をみている可能性もあるけれど、しかしながら「自分の知覚している物事は実在するのだろうか。悪夢なのではないか。」と「疑っている」自分自身の「思考」は、「実在」する。
この「思考の実在性」を端的に表しているのが、「我思う、故に我あり((羅)cogito ergo sum/(仏)Je pense, donc je suis.)」という言葉であり、ここから、哲学の基礎を組み立てようとしたのが、デカルトの大きな特徴です。
それまでヨーロッパに置いて支配的だった「アリストテレス哲学」に基づいた「スコラ哲学」からは一線を画する「思想の出発点」の表明でした。
また、当時の学問の世界で支配的だった「ラテン語」での表記を辞め、一般民衆が読める「フランス語」で『方法序説』などを著し、出版したことも、
「良識は、全ての人に、公平に分け与えられている。」
と言って、全ての人が真理を知り、分別する力があると考えたデカルトの特徴と言えます。
詳しいことは割愛しますが、
「思惟する心(精神)」と「思惟される物(延長)」という風に、(賛否両論あるかと思いますが、)物と心を峻別する「物心二元論」を作り出すきっかけとなったのも、デカルトですね。
デカルトを詳しく紹介したいのではないのですが、
私は、最近、「我思う、故に我あり」という言葉を、自分自身に対して感じる、というお話をしたいと思います。
というのも、こう言うと、変に思われる方もいるでしょうか。
私には、「自分が感じていることが自分でよくわからない。」
という特徴があります。(でも、昔より、マシになってます!)
自分が何を感じているのか。
自分は何が好きなのか。
自分は何が嫌いなのか。
自分は何に戸惑っているのか。
自分にとって心地よいこととは何か。
自分の中の心の動きとか、思考の動きが、よくわからなかったんです。
だからなのか、心が不安定で、「自分の考え」を掴めず、自分が何を考えているのかがいまいちわからない…。
と言うよりも、
自分の考えを持つことは悪いことだと感じる。自分の考えとか感覚とかの「自分の何か」を感じると、不安と罪悪感がやってくる。
「こう考えなきゃだめだ。こう感じなきゃいけない。」と思う一方、そう思えない・感じられない自分に嫌気がさして、自暴自棄。
「自己の思考」と言うものの存在を打ち消し・否定してきたことが原因なのかな? と、自分なりに思っています。
生育歴とかも関係してるかもですが、何はともあれ、とにかく、「自分の気持ち」「自分の考え」を自覚したり、認めたりが苦手でした。
そもそも、自分に「自分なりの考え」「自分なりの思い」「自分なりの気持ち」「自分なりの戸惑い」「自分なりの好み」etc… があることを認めること自体に、長い時間がかかりました。(まだ、得意でないですが。)
「考えること」をちゃんとやりたいと思って、大学で哲学を志向した私でしたが、そもそもの「考える」ことの前提条件である「自我」が弱かったようです。
ガーン^^;
日常生活の中で、
「自分は、今、こうしたいと思ってるんだな。」
「自分は、これが好きなんだな。」
と、感じ・受け止め・判断する「認知機能」を活用することで、人は毎日生きていると思いますが、
ようやっと、
「私は、私なりに考えているんだな。私は、私なりに何かを感じているんだな。」
と、自覚するようになってきました。
….めっちゃハレルヤです…!!😭
私には私の思考が存在する。
当たり前すぎるくらい当たり前ですが、
「思惟する私」の存在を認め始めたからこそ、私自身の意識の外側の「延長」の世界が、また少し違った風に感じ初めてている、今日この頃です。
いやあ、今年の紅葉は、めちゃくちゃ綺麗ですよねえ。
つくば始音教会 ゆう