おうちで、人とつながる聖書時間 小学校の国語で比喩を学ぶわけ
こんにちは、つくば始音教会のMISUMIです。
リモートで、おうちで人とつながる聖書時間をつくっています。
先週、聖書を注文したけれど届かなかったために事前に聖書アプリをダウンロードして時間を決めて読んだ7分間。
もちろん聖書を持っている人は聖書を読んだ。
そしてアウトプットした時間。
ローマ人への手紙 12章兄弟の愛をもって互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさい。
箴言3章すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
ここは、牧師先生が好きな聖句だ。全部主に任せて、一生懸命に忠誠尽くして義(神様の真理)を持ってやろう!と補足してくれたことがあった。
ルカによる福音書8章一つの譬(たとえ)で話された、…「種まきが種をまきに出て行った。…種は神の言(ことば)である。
道ばた、岩の上、いばらの中、良い地の4つの場所は人間の脳にたとえられている、とちょうど7年前に牧師先生から学んだ。
と聞いた時に、
小学4年生の夏前に俳句を国語の教科で学んで、
季語を使うし、風景や万物を感情や人そのものにたとえることもあるん
だな、と思って
砂浜に海月(くらげ)が来たよ墓参り
と詠んだのを思い出したが、
確かに何のために比喩を学んだのかは私も分からなかった。
国語で学んだ比喩が、
聖書は譬で書かれているから解きながら読む、
というところに着地した。