私の父は、ことあるごとに

「自分は底辺の人間だ」

と、自己卑下していました。

なんだか最近、このことを思い出したので、書いてみます。

 

父は、工業高校を卒業し、肉体労働の仕事をしながら、家計を支えてくれていました。

体は細く、虚弱で、食も細く、胃腸も弱い。いわゆる、太れない体質です。

精神面も、今思えば、自分を叱ることはあっても、自分を認めることがないような、自己肯定感がほとんどないような雰囲気で。

本当に、体にムチ打って働いてくれていました。

自分自身は愛に飢えながらも、子供には、自分の行いで「すべきこと」を教えてくれる、そんな父だったと思います。

(それで、私は子供の時、「口ばかりだ」と感じてしまっていた母とは違うから、ちょっと怖いけど、父を尊敬していました。)

 

祖父は、若かりし頃、お酒を飲むと暴れたらしく、父はよく殴られ、血を流していたのだと、祖母から聞きます。

父から、幼少時代の話を聞くことはありませんでしたが、「怖い」体験が多い子供時代だったのではと想像します。

その祖父は、バブル期に事業を起こし、バリバリと働いていたそうですが、ある時、脳梗塞で倒れ、半身不随に。

さらにバブルもはじけ、会社は倒産し、借金だけが残り。

父は、結婚してまもなかったそうですが、関係者に頭を下げ続け、なんとか家を失わないようにし、自分が祖父の代わりに数千万の借金を返す責任を背負ったそうです。

 

父も母も、苦労が多かったと思います。

月々の借金の返済が、大きく家計にのしかかり、自分たちの着るもの・食べるものは後回しで、とにかく子供のために必死だ、と、よく母は口にしていました。

こんなことをここで書いたら、母に嫌がられるかもしれませんが、母は、ボロボロの下着を捨てずにずっと何年も着ていたのに、子供達には、新しいもの・良いものを、と、してくれました。

それでも、私個人的には、裕福な家の子・「普通の家の子」と比べると、自分の身なりがちょっとだけ恥ずかしいと感じる時期もありました。

「普通の家」に生まれなかった自分の不幸を、惨めにも、悔しくも思ったけど、負けないで生きていかなきゃいけない。自分の運命は自分で切り拓くんだ、と思って、私の生来の負けず嫌いもあって、小中高の勉強は頑張ったつもりです。

父母は、そんな私が、したいようにするようにと応援してくれ、経済的に苦しいのに、高校だけでなく、大学にまで行かせてくれました。

本当に、感謝しています。

 

私は今、経済的にも、ある程度自立して、自活して生活しています。

そのことが、「人(私)の価値」に直結はしないけれど、生を保つに十分な経済・物質を得ながら、安定的な生活を送ることができることが、どれほど 感謝なことなのか。いわゆる、「人間らしい生活」を保てることが、どれほど大きな祝福なのか。

逃れようのない飢えと貧しさの苦しみを痛いほど体験された牧師先生の説教を聞くと、普段何気なくも平和に暮らしている自分の身の上を、感謝しなければならない、と感じさせられます。

また、父母の苦労を考えると、感じさせられます。

 

当たり前のことだけど、本当は当たり前ではない。

数十万、数百万の祝福を神様からいただきながらも、気がつかず、当たり前にやり過ごしてしまっている自分。

「知らなければ、存在しないことと同じ」で、しかも、人間の無知は、感謝よりも欲を生むとおっしゃいますが、

これだけしてもらっているのに、私のために労苦を払い苦労を負ってしてくれている存在がいるのに、気がつかず、「今自分が持っていないこと・もの」に目がいって、感謝できない自分。

それこそが、自分の、人としての惨めさだと感じます。

 

感謝する心の豊かさを、持ちたいです。

「底辺の人間」だと自分を嘆いていた父は、体を張って、私を生かしてくれました。

そのこと一つをとっても、底辺ではないし、人の道を尽くしたのだとも思います。

でも、一つ残念なのは、今、この世に存在していないこと。このことは、惜しいとしか言えません。

世の中に底辺の人間なんて存在しないけれど、自分をそんな風に感じてしまう・感じさせてしまう・追い詰めさせてしまう境遇が、少しでも改善されることを祈ります。

 

つくば始音教会 ゆう

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