突然ですが

皆様、『宥座の器』という言葉をご存知でしょうか??

「宥座(ゆうざ)」とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた「中庸」ということを教えるものです。

 壺状の器に水が入っておらず、空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまう。孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めたといいます。

 

社会に出ても、家庭にいても、どんな場合でも、様々な事が日常で起こります。それらを一生懸命やっているうちに、いつの間にか苦しくなったり、辛くなったり、ひどい時には人生を諦めたくなったり、日本人は特にそのようになる人が多いのではと感じます。

 

私の周りにも、そういう人たちがいます。

  

今年はショッキングな話が多いです

 

例えば、同僚の元夫(離婚した方)が自殺し、引き取ってほしいと警察から勤務中に電話があったり、また違う同僚の家では、一緒に住む祖父が一年前に亡くなった妻の後を追って自殺したとこちらも勤務中に電話がありました。

 

身内で起こったことではないですが、それを聞いた時、ショックでした。なんだか心がポカンとしたような。

 

牧師先生は、一生懸命人生を生きるすべての人にこのようにおっしゃいました。

  

“要領というものが必要です。要領というのは何かというと、コップを持ち上げるときにすごく力を入れて持ち上げることもできるし、少しだけ入れて持ち上げることもできます。これを上げられるだけの力を入れればいいのに、それ以上の力をうーんと入れて上げる必要がありません。コップを上げるだけの力ならいいのに、コップを上げるのに、机を持ち上げるくらいの力は必要ないです。だから適度に力を使わないといけません。あまりにもひどく疲れきるほどやったら過労になります。人生の道がつらくなります。だから休みながらやらなくてはいけません。やるべきことはやって、やるべきではないことはやらない。それが要領です。”

 

世の中には、自分から見て、または周囲の人から見て、あるいは社会的に見て沢山の良い考え、行いがあり、そのための努力を惜しまずされている方が沢山いらっしゃいます。

 

しかし、その一生懸命行ったこと、一生懸命愛したこと、一生懸命努力したこと、身を削るように考えて、行ったことが、自分を本当の意味で生かすことであるのか?時に省みなくてはならないと思うのです。

 

皆さん、宥座の器に、水を適度に汲めていますか?

あ!そこのあなた!

あともうちょっとで、器がひっくり返りそうですよ💦

そう、神様が今日も叫んでいるかもしれません。。。

  

  

  

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