つくば市長&市議会議員選挙

今日は、つくば市長&市議会議員選挙の日です。

 

今日の投票時間は、7:00〜19:00までが定められていますが、私は朝一で行きました。

朝、私には、コートが必要と感じるくらい寒くて、外気はひんやり。ちょっとずつ冬の訪れを感じます。

 

近所の中学校へ投票へ行きましたが、係の方が朝から対応しておられました。

寒い中、暖房もなく、大変だなあ… と、率直に感じました。

 

 

もちろん私は、自分の良しとする方に投票しましたが、結果、どなたが当選されるか、人間にはわかりません。「神様がこの人に市政を任せたいと思う人」「神様の心にかなう人」が当選されるようにと祈りました。

 

 

正直言うと、選挙や政治というものは、「私にはわからない、縁遠いもの」というイメージが強いです。

食わず嫌いであって、「わからない」と思って蓋をしているだけ、とも思いますが、なかなか、苦手意識が取れません^^;

配布された選挙チラシを読んでも、なんだかピンとこない。活字も頭に入ってこない(汗)。ネットで一人一人の目指すところや政策などを確認し、私自身の考えとも照らし合わせてちゃんと比較検討…できたら最高ですが…そうする時間・体力の余裕がない(汗)。果たして、自分は誰に投票すべきかわからない。にも関わらず、「選挙権」という権利が付与されており、この権利の行使は、一市民である私自身の市政への責任の表明である…。

そして、市議立候補者は40人超と多数。それなのに、投票できるのはたった一人。

私の一票は、結構大きい…と思う…。

 

幸い、私の職場に、立候補された方が複数名、直接足を運んでくださったので、どんな方かを近くで(すこしだけかもですが)知る機会がありました。

「遠い存在」と思ってしまう人と近くできる機会をくださった神様に、感謝しています。

訪問していただいたことを通して、お人柄や、ご自身が当選されたら力を入れたい・実行したいと考えている政策など、伺うことができました。

…とはいえ、予備知識の少ない私は、政策などに関して伺っても、あまり理解できなかったかもですが、市政が身近に感じる良い機会となりました。

「遠い存在」「私には関係ない」と思いがちではありますが…、直接お会いしてみると、身近な感覚に共感できたり、自分が問題だと感じていること・私の会社で社会問題だと感じて取り組んでいることに対して、一緒に取り組んでくださる安心感を持てる方もおられました。

 

一生活者として、「今よりもっと良いつくば」になるにはどうなったら良いのか、考えるタイミングともなりました。(ちょっとだけかもしれませんが…)

 

 

 

政治に関していえば、

「個人的なことは政治的なこと」

という言葉を耳にしたことのある方もいると思います。

 

第二次大戦後のアメリカにおける「第二波フェミニズム」において、いわゆる「ジェンダー(社会・文化的性別)」に対する固定観念を問題視した社会運動から出てきた言葉で、

1920年代頃の「第一派フェミニズム」で「女性の参政権」は獲得し、法的には男女平等が実現しているはずだけれども、社会でも家庭でも、男尊女卑の考えが根深く、女性であるだけで軽んじられ差別されてしまうことを問題とした運動が、「第二波フェミニズム」のようです。

(私は、フェミニズムについては大学で専門で勉強してないので、授業でちょっとかじった程度で恐縮です。)

 

戦後フランスの女性思想家ボーヴォワールが「人は女に生まれない。女になる。」と表現したことが「ジェンダー問題」に関しては有名な言葉ですが、「女ならこうあるべき」「女らしさとはこのようなもの」と括られ、扱われてしまうことは、現代でもまだまだあると思います。

ちなみに、ちょっと前に話題になっていましたが、日本の「ジェンダー・パリティ」と言われる、「性差に対する社会的公正さ」を示す値(2020年)は、153国中、121位と下位。先進国においては、ジェンダー・ギャップ(性別による格差)は日本が最大とのことです。

(下記、「世界経済フォーラムHP」より)

https://jp.weforum.org/agenda/2020/03/how-to-narrow-japans-widening-gender-gap/

女性を話題にしていますが、男性も、「ステレオタイプ的な男性らしさ」「男なら、こうでなければならない」を自他共に強要することからくる生きにくさも、ジェンダー問題としてあり、男女共に、固定観念・古い慣習に縛られてしまうことからくる苦しみがありますね…

一方で、「こう」と決まったものがないという雰囲気も、現代の特徴でもあり、目指すべきモデルを見つけにくく、迷いやすいこともあると思います。

「こうあるべき」と決められていても、決められていなくても、難しさはありますね。

 

 

つくば市長・市議会議員選挙の話題から脱線していますが、

普段の日常で感じる「ちょっとした困り感」「日本で・茨城で・つくばで、当たり前になっちゃってるけど、実は変に我慢してやり過ごしてること」「本当はこうだったらいいと思ってるけど押し込めてること」

どんな人でも、何かが、あると思います。

 

生きにくさ、学びにくさ、働きにくさ、休みにくさ、遊びにくさ、安心しにくさ、自己肯定感の持ちにくさ…

いろんなクサ…

いろいろな「社会的雑草(〜しにクサ)」を、一つ一つ抜いていったら、住みやすい、暮らしやすい地域社会・つくばになるのかな。

 

 

幸福度は主観的尺度だけれども、その主観を支える社会制度やサポート体制が、公私共に今より充足して、笑顔が増えるつくば市になりますように。

「健幸寿命日本一」が実現しますように。

私が・誰かが上げるべき声があれば、上げることができますように。声を上げやすいつくばでありますように。

そのためにも、自分の感覚・考えを認める正直さから、スタートしなければと思います。

 

 

 

つくば始音教会 ゆう

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