賭けの断章
哲学者の話の続きで言えば、
デカルトと同じく、17世紀のフランスを生きた有名な哲学者・数学者に、ブレーズ・パスカルがいます。
彼の遺稿集として、死後出版された
Pensées(『パンセ』)
はとても有名ですが、この中に、
「賭けの断章」
というのがあります。
(高校生のときの数学で習った「確率論」の基になったところだとも聞いています。)
これは、すごーく簡単に言ってしまうと「神様を信じて、善行をして生きた方が結果的にお得ですよ。」
という話です。
パスカルの思想は、
L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature, mais c’est un roseau pensant.
(人間は一本の葦、すなわち自然の中でもっとも弱いものに過ぎない。しかし、それは、考える葦である。)
という言葉において、とても有名かと思いますが、
人間の弱さや惨めさを認める一方で、考える力や理性を、他の獣との違いとして表し、人間の特性を述べています。
一方で、
その考える力、すなわち「理性」を万能とは認めず、
むしろ、理性による認知能力の限界を認める謙虚さの必要性を主張し、
”自身の無知を知る”という限りにおいて、人間は、獣以上に惨めであるとも言い、
神なき人間の惨めさと、神と来世を信じる信仰の有用性・必要性を説き、
神の意向に敵う善なる生き方や愛を重んじる生き方を推奨しています。
「疑う我」という理性機能・思惟の実存を「疑いようのない真理」として(自身の)哲学の基盤と規定したデカルトと違うのが、この、「キリスト教の信仰」をもとに思想を展開している点かと感じます。
ちなみに、
パスカル(やデカルト)の生きていた17世期のフランスの時代状況としては、
一部のキリスト教の神父ですら、地下活動(裏)では神様を否定する論稿を執筆していたり、水面下で「無神論」が広がりを見せており、
一方で、当時の教会の主流の教義から逆らう者は、最悪処刑されてしまう(もちろん無神論者は…)という、厳しい時代でした。
こんな時代に於かれて、パスカルは、恐怖心から、というよりも、自身の神秘体験をベースにした篤い信仰心からも、信仰こそが、惨めな人間にとって必要なものであると言っています。
私が大学生のときは、『パンセ』は、長いし、ちょっと難しくて、文章が断片的な印象で、正直あまり読む気がしなかったのですが^^;、今となってみると、結構興味深いなあと感じます。
表題の「賭けの断章」ですが、
神様の存在を証明することは、理性によって叶えられるものではない。(理性には限界がある。)
また、死後の世界の有無は、コインのトスのように、裏表、どちらが出るか、理性によっては、測れない。
その上で、
もしあなたが神を信じないとしたら、神の望む善行をして生きることもないだろう。それで仮に来世が存在しないなら、あなたが来世で失うものはない。
しかしながら、
もし、来世や神が存在しているならば、どうだろうか。
神と来世を信じ、善行をし、愛を施し、キリストに倣った人生を生きるなら、来世において、神の祝福がある。神と来世が実際に存在するなら、あなたは、信じた方があなたにとって得である。
一方で、信じないならば、あなたは大きな損をすることになる。
損得感情からしても、神を信じることを勧める…。
そのように、無神論がはびこり出していた400年前を生きていた一信仰者であるパスカルは言っています。
「もしも」
の不安に備えるなら、
老後のお金よりも、信仰を…。
つくば始音教会 ゆう