幸せの貯金
私は福祉関係の仕事をしていますが、利用者さんで、とても頻繁に感謝を表現される方がいます。
人生の経験がすごく沢山あって、私には乗り越えられないと思う困難で酷い経験を、腹をくくって潔く乗り越えてきていて、でありながら、自分の人生を恨んでいない、そんな方です。
恨み言がなく、さっぱりしていて、情深いので、肝っ玉母ちゃんのような雰囲気です。
私の所属している事業所の利用頻度があまり多くないので、お会いできるのは大体月1回程度ですが、定期的に福祉サービスを利用する必要がある状況にあり、かつ、よくある話ですが、ニーズに対して、サービスの量が十分ではない。
その方にとって、不自由は、日常です。
そして、体調が優れないことも常々で。
ですが、その方は、日常生活の小さなことに、幸せを見出す才能があります。
「あ、これ美味しい〜」
「助かったぁ〜」
「幸せ〜」
などと、まるで少女のように、感激を表現します。
サービスを提供させていただく私に対しても、
「ありがとうねぇ〜」
「助かったぁ〜」
「ほっとするのよ〜」
などと、気持ちを沢山表現して教えてくれます。
必ず目を見て会話してくれますが、その時の目が、とても澄んでいて綺麗です。
後ろめたいことを人生に残さないよう、さっぱりした気持ちで生きていらっしゃるからかもしれません。
基本的な愛情というものが、深いからかもしれません。
体が比較的自由に動けた時は、惜しみなく誰かに愛情を注いであげるタイプだったようです。
今、自分がサービスを受ける側になって、「してもらうことは苦手」だけど、生活の支えがあることに、感謝を惜しまない姿には、やはり、感銘を受けます。
そして、私個人としては、利用者の方皆さんに対して思うことですが、こんな私を受け入れてくださり、本当に感謝です。
その方の話を聞きながら、私も大事にしたいと思ったことが、
「幸せの貯金」
です。
「不幸の貯金」は、もしかしたら、多くの人がしているのかもしれません。
「あの時ああだったから悪いんだ…」
「あんな風に言われた…」
「また失敗した…」
よかったことよりも悪かったことを記憶に残しやすい人間の脳の特性があるからかもしれませんが、
不幸を引きずって、忘れられず、「貯金」して貯めていってしまう。
私も、たいがい、引きずりやすい方です。
「なんで自分はうまくできないんだろう…」
「なんで気が付かないんだろう…」
「自分、バカだな。ダメだ…」
など、うまく行かないことなどがあると、それに誘発されて、こんな考えに支配されてしまうことがあります。
さらに、過去の「不幸貯金」から「不幸事例」を引き出して、「自分を否定する根拠」として持ち出す。
不幸の連鎖を産む、不幸貯金…
頭では、誰にもなんのメリットもない、とわかっていながら、気持ちの面で、どうにもならなくなって、しばらく停滞してしまったり。
誰もハッピーではないです。
「不幸を貯金していても、誰も喜ばないから、幸せの貯金をした方がいいよ。」
と、その方は、私にアドバイスしてくださいました。
いわゆる「霊感」があり、人の様子に敏感な方なので、多分、ちょっと私が落ちてることが伝わったのかもしれません。
神様が、その方を通して、私にアドバイスしてくださったのだと思います。
牧師先生も、
「感謝しなさい」
と、頻繁におっしゃいます。
「感謝で、心配・憂い・悩みを覆ってしまいなさい。」とおっしゃいます。
また、今週は、
「人々は理想を成すことを望むけれど、そのためには、過去を忘れないといけない。」ともおっしゃいました。
これだけ聞くと、ちょっとびっくりかも?ですが、
“神様と共にするなら、過去の苦しみは塗り替えられ、新しい希望と喜び、真の幸せを享受する” からこそ、このようにおっしゃいます。
“過去どのような苦労があったかを思い出して考えるよりも、神様がされたいと願う、新しい理想世界を考え、共に成していこう。1日ではできないから、続けて作っていこう。一段階次元を上げて、毎日新しくしよう。”
と。
過去の不幸を、後生大事に貯金して保管し、引きずって、ことあるごとに振り返るよりも、
もっとよくしてくださる神様を信じて、
私を生かしてくださっている感謝を、
どれだけ自分が満たされているかを自覚して、感謝したいです。
美味しい牛乳が飲めるだけで感謝なのに、小さな幸せに気がつけない鈍感な私は、やはり、学び、身に着けるべきことがまだまだ沢山です。
「自分を作ってこそ理想世界だ」とおっしゃいます。
自分次第の人生だからこそ、考えの手綱を私が自覚的に握り、感覚に自分を流させないよう、
何かあった時に引き出せる「幸せ貯金」を増やしていけるよう、努力して行きます。
つくば始音教会 ゆう