人生の無目的性

「私たち人間は、自分自体としては、目的なく生まれる。」

 

私の通う教会の牧師先生に教わったことです。

 

初めて聞いた時、一瞬、「え?!」「人間は目的があって作られたと、御言葉で聞いていたけど…」とびっくりしましたが、続く説明に、とても納得しました。

 

つまり、

自分自身が「こうしよう」「こうなろう」と思って、何らかの計画をあらかじめ持ってこの世に生まれるわけではない、ということです。

  

生まれた時は「無」。

自分には、なんの目的もない。

 

本当にそうだなと思います。

 

では、なぜ、目的を持っていなかった私が、この世に生まれ出て、今も存在しているのか。

 

それは、私が生きることを望んだ存在がいるから。

私が生まれることを、喜びと捉えた存在がいるから。

 

それは、

肉親の思いでもあり、

私の存在そのものを根本的に造ってくださった創造主神様の願いなのだ、と、牧師先生は教えてくださいました。

 

 

誰にも認められず、関心を持たれず、自分一人で生きることは、とても寂しく、侘しく、虚しく、苦しいです。

また、

自分の人生に目的を見出せず、ただただ茫漠とした時間を無心に消費していくことも、虚しいです。

  

でも、

生きているだけで、誰かの喜びになり、

存在しているだけで、誰かに幸せを与えることができます。

  

自分を産み、育ててくれた親は、自分が生きているだけで喜んでくれる尊い存在。

また、

たとえ、肉親を含めた肉体を持った「人」が自分を喜ばないと感じられるとしても、神様は、絶対に変わらない愛で、私たちの存在を喜んでくださっています。

なぜなら、神様の喜びの対象として、私たちは元々造られているから。

 

だから、神様は、

「あなたを愛している」「あなたは私にとってとても大切な存在」というメッセージを、毎日毎日送り続けてくださいます。

 

私を教えてくださった牧師先生は、小さな虫一匹からも、神様からのメッセージを受け取ったエピソードを教えてくださいました。

思いもよらない「小さなもの」「大したことないと思っているもの」からも、神様は、語られます。

  

自分自身に希望が持てなくても、

将来の展望を描けなくても、

あなたと共に人生を歩み、あなたとだけ描ける人生の色と輪郭を、共に描くことを願う存在が必ずいます。

 

私自身の心が揺れて、自分を放棄しそうな時、このことを、思い出す努力をしなければならない、とも思います。

 

 

つくば始音教会 ゆう

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